丹後の空から。ヘリ空撮同乗記-その1-
青空をみあげて、鳥のように、飛べるといいなー、死ぬまでには一度は飛んでみたいなー、と。
これは誰しもの子供の頃からの夢ですが、そんな夢が不思議なことに、どこからかかなう。
もう何十年も昔にハバロフスクから飛んで帰ったことがあるが、あの時もヒョンナことであったが、あれは1万メートルばかりの高空で、雲の上、高すぎて、天気がよくても地上のものはあまり何も見えない。
今回は、空撮写真家・坂根正喜氏のヘリに同乗されてもらえた。彼はすでにもう8回も丹後の空を飛んでいる。(詳細はHP『丹後の地名』を)。
今回が9回目という、丹後空撮ならこの人おいてはない。7月19日の梅雨のあけきらぬ、しかし久々に少し晴れ間の出る天候になった。
電話が鳴る。「今日は飛べる。12時に来い」というのであった。さっそくデジカメ詰め込み、すっ飛んで行った。しまったなー、もう少しメモリーがあった方がいいかなーと考えながら。
◎このブログは、『丹後の地名』の「アルバム5」の続きですので、先頭部分というか詳しくは、そちらを見て下さい。
たまには空からながめて見るのも精神的にもかなりいいようで、坂根氏は「もうやみつきや」と、とうとう薬が効きすぎてビョーキになってしまったくらいである。
◎このブログに掲載の下の写真はいずれもクリックしてもらいますと、2倍くらいに大きくなります。
↑0001
↓0002。ヘリのコクピットはこんな様子。メカのかたまり。何かぜんぜんわからぬが…。意外と狭いような、広いような。私は初心者とのことで、ここに乗せてもらった。
↑0003。コクピットから見ると、外はこんな様子に見える。下は西舞鶴湾(京都府舞鶴市。古くは笛ケ浦と呼ばれた)。
1時間ばかりであったが、十分に堪能。800枚も空撮をした。坂根氏と合わせると2000枚くらいはあると思われる。
◎その下界の様子を続けていこう。
↑0004。ここは下佐波賀(京都府舞鶴市佐波賀)の集落。終戦直後の浮島丸事件で有名な所。左の端っこのほうに「浮島丸殉難の碑」が見える。(舞鶴の人でも知らない浮島丸事件。参照)→ 「朝来と志楽」
↑0005。 河辺の谷(京都府舞鶴市河辺中くらいより奥側)
もう詳しいコメントはつけません。
ただ子供のように無心に見ていれば、コミュニケーションできるはず。そこからを何かを感じ取っていただきたい。
↑0006。朝来中(京都府舞鶴市朝来中)のあたり。舞鶴工専の校舎も見える。海軍第三火薬廠というのがこのあたり一帯にあった。
↑0008。志楽谷の奥側、青葉山の麓にかけて。(舞鶴市志楽)
↑0010。与保呂小学校の真上へやってきた。もう子供達は帰ったようで誰もいない。(舞鶴市立与保呂小学校)
茅屋の近くです。詳しくは、→「与保呂の里」
↑0012。これは私の茅屋も見える。新しい住宅が建ち並んでいる。(舞鶴市常新町、京月町、亀岩町)
わざわざここを飛んでくれた。本当に親切だね。感謝、感謝。
(この写真は坂根正喜氏からいただいたもの。感謝、感謝)
↑0014。東舞鶴市街地の南側、行永や森のあたり。倉梯第二小学校が見える。
◎これより菅坂峠を越えて、上林谷(綾部市上林)へ入る。
↑0016。ここはたぶん、たぶんであるが、市志の谷でなかろうか。最近話題の「限界集落」が点在する地である。
↑0017。オクカンです。どこのあたりかと問われると自信がなくなるが、睦寄町あたりではなかろうか。
忠町のあたり。
◎続きはいずれまた。
◎続きです。
↓0022.渕垣のあたり。何工業団地と呼ぶのか知らないのだが、新しい工場が造成されている。
↑0024。ナビつきのカメラがほしくなる。緯度・経度・高度の出るヤツがほしい。なければ迷子だ。どこだか私はもうわからなくなった。
ここは物部町から南向き、だそうです。このブログを見て、坂根氏がFAXをくれました。感謝、感謝、感謝のし通し。
↑0025。これは鍜冶町・大畑町の上空。東向き。大きいのは老人福祉施設だそうです。
↑0027。このあたりの田は広い。5反くらいはあるらしい。
刈り取った跡のように黄色く見える田は麦が植えてあったそう。
物部の「南天」の上空。パイロット側の窓の下段の先側の窓ごしにちょうど「南天」が見える。南向き。赤い屋根は物部幼稚園だそうです。
↑0027。ここならばわかる。物部
(京都府綾部市物部町)。
先ほどから書いているが、ここに「南天」という喫茶店(レストランも)があって、そこではちょうど坂根氏の写真展が開かれている。「花と緑」の綾部を見て下さい。8月4日までです。
↑0028。物部から西坂を向いて
↑0029。志賀里の西方町の谷
↑0030。これは何とも特徴のある山で。
何という名か知らないが、物部と志賀里のあいだくらいにある山。ヘタクソが写しても芸術写真になりそうな山である。
志賀小学校とその向かいや横手は何北農協、だそうです。
↑0031。大江町公庄あたりから南向き。由良川。福知山市と大江町の境あたり。
↑0032。はるばると来たものだ。ここは大江町北原(口北原)。ピラミッドは内宮さんの日浦山。
坂根氏は棚田が好きで、ここの棚田を写したかったそうだ。
空からでもないとこれないような所である。いい道はあるのだが。この村はまっすぐ平という所がない。棚田はかなり荒れていた。棚田のある村は鉄の村と私はにらんでおります。
↑0033。さあ大江山を越えるぞ。
◎続き、いずれまたの日に。
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