いまさら紹介も不要なくらい、この地方の著名人も御用達の、よ~く知られたおゾハ屋さん。「そば・酒処 そばの花」。
ここのご店主は、私には古い
30年も以前の「戦友」、
キサマとオレとは同期の桜、しかし
桜の時代はとおの昔に過ぎ去って、もうほぼ狂い咲きの「同期のそばの花」。
ある日のことですが、「来い」、と声かけられて、出かけてみた。

皆様にもぜひ足しげにお運び願いたいのですが、最初場所がわからないと思う。イッパツで来られたら動物以上に土地勘の効く人。明るい時でもわからない、夜だったらまず探し出せない。
住所は一応は京都府綾部市上八田館ノ前1番地、お店の電話番号は0773-44-1191で、これをナビに打ち込んで、このあたりまでは来れる、その先の案内をすれば…

府道485(物部梅迫停車場線)を西側から見ている、↑虹の下に見えるのが舞鶴若狭自動車道で、国道27号の上杉の信号から入ると、そちら側から、そこの黒い車と同じ向きでここまでやってくることになる。お店は写真の一番左の藁葺トタンをかぶせた家である。

府道からわずかに入り込んだところで、道路から見えるが、看板も何もない、ホントに何もない、わかるわけない、来られるもんなら来てみんかい、探せるものなら探してみんかい、の世界。絶対に探せないので、そのつもりで来て下さい。
そこの赤いの自販機↑くらいが目印になる、自販機くらいはほかにもいくらでもあるので、この自販機を注意して見落とさないように、奥に車がたくさんあるところが、お店の駐車場です。

これが「そばの花」の正面入口↑。普通の昔の農家である。↓ここからお入り下さい。


燃えろよペチカ
木のストーブと友たちが迎えてくれます。
友と語らん。何を語るべきや。
まあそうする前には、まず飲んで喰って、腹ごしらえが先じゃぁ。
こだわりの料理が一杯出てくる、少し写せば…

舞鶴の魚↑ここは素材にこだわりぬく、ウソはない、エエカゲンはない、メニューと違うこともない、偽装表示の「おもてなし」はない、本物の口には出さない、おもてなしがある。

当店おすすめの「そばすき鍋かも仕立」↑。
うまそうだわい、こんなゴッツォは何十年ぶりか、そんな目が見つめる。
皆様もぜひ味わって下され。
お店の雰囲気
店主の親戚の家だったという農家造りで、中にはいると新しい住宅と違ってほの暗い、ガラス戸がふんだんにあるにもかかわらず、カメラの目には特にそう感じられる、写真よりは人間の目にはもっと明るい。





田の字の農家の間取りでタタミの間にテーブルが数卓ある。座っていただくのが基本。家族ずれでも友達とでも、会社の忘年会などでも、40名くらいは入れるよう。

月~金 11:00~15:00 夜は予約のみ。
土・日・祝祭日は11:00~20:00
毎週火曜日と第2・3水曜日は定休日
そばは北海道・幌知内産。お品書きは写し忘れたが結構あれこれ揃っております。
料金は大変に良心的、暴利をむさぼる気などはさらさらなく、そんなに安くてやってけるの、の金額であります。


あまり写せば企業秘密にふれるか、
彼の息子さんも帳場に立っておられる。

友と語らん。通いなれたる、まなびやのまち。
バカ者はまた、歩きはじめる、
とか歌っていたが、ゴソゴソと何やら引き出してきて、
ほら、これな、おまえが書いたレポート。オレまだ持ってるよ、と、
そんな古い物をまだ持っていたのか。
あの右さがりの苦しい時代に一万二千人も集めたために、「舞鶴の奇跡」と呼ばれた取組だったが、舞鶴ばかりでなく、青年団だけでなく、もっと広く大きな衝撃を与えていたようである。彼は船井郡日吉町の名望家出身の人だが、いまだに読み返してくれていたとは、よき友とはこうした人。舞鶴人でもそうした人はない(のではなかろうか)

わざわざこれを持って来てくれたのか グス 
あのときは一万二千人も集まってくれた、でも今はそれを百倍する人が集まるサイトを書いているよ。
というのだが、信じられない様子である。
「戦争展」は今ではずいぶんと全国で開かれるようになっているが、その出発になったころは、超難関のハードルだらけで、全体見通しもたてられず成功率ゼロに近かった、こうした場合は若者の力しか頼れるものはない、府青年団も強力応援してくれた、そのときの団長が彼だが、思い出したが、事務局にいたのが今前に座っている、
女子団員様であった、久美浜の子で、当時府全団のあこがれのマトだった。
その資料は事務局にあるか、あればもらいに行く、用意してくれ、とエッチラコッチラと京都市内の事務所まで行くと、彼女が集めてくれた大束の資料がくくられて用意されていた。
わっおもたい、というほどあった、あのときは助かったよ、これで半分成功と思った、あのときそうしてくれたんです、覚えてる?30年も昔の話だけど、と問えば、さぁー、ということであった。
こんな話、破られることのないと言われた最長レポートに書いただろうか、覚えないが、もしなければ、これが30年後の後日談。
やさしの小鈴、葉陰に寄れば、夢は帰らん、…


こうした話は書き出せばキリがないほどにあるが、かつての戦士たちもそうした見果てぬ夢に酔いしれて、ぼつぼつ酔いどれ。
近くの「イワンの里」にて二次会。

ココロは「イワンの馬鹿の里」ということだそう。馬鹿を入れるとお客様に失礼かと、看板には入っていない。
Иван(イワン)は聖ヨハネのこと、英語ではジョン(ジョニー・ジャック)、ヨハンとかジャンとか言語によって呼び方はちがう。生まれた日によって予め名前は幾つかに決まっていて、日本のように何でもよいというのではない。
長兄は軍人で悪魔に剣にてやられてしまう、過去の大日本低国、与党政府が自衛権とか必死になってとりもどすといっている一番アホなタイプ、二男は今の経済大国日本みたいなもので、ゼニしか頭にない、目先のゼニしか知らない、これまた悪魔にはめられてやられてしまうという二番目アホタイプ。弟のイワンはまったく別で馬鹿正直で手にタコない者は食うべかずのタイプ、ここの店主のような人で、悪魔も手が出せず最終的にはここだけが栄えたという。額に汗して働かずに、軍事力で富を独占しよとしたり、朝から晩まで働きもせんでカネでカネを儲けて富をゴーホー的にかすめ取ろうとか、そういうことをしていれば遠からず滅びますよとトルストイは教えていた。
悪魔の甘いささやきにそそのかされずにやっぱりド誠実なバカで行こうかのかなり哲学的文学的店名のよう。
あの頃もそうだったが、相変わらずよく飲みますのぉ…

こうしたときよく思い出す曲 「遠い道」
ДОРОГОЙ ДЛИННОЮ
時はアッ!という間に過ぎゆきて、お互いそれぞれ長い道を歩いた、
お互い老けてしまった、アポロンの髪も白く薄くなり、ひどい顔になった。
あの頃と酒飲む姿は変わらんな、
あいも変わらず「Иванのバカ」のままだ、
中味のキラキラ心はかわらんな。
というような意味か。
メリー・ホプキンの英語版の方がなじみあるかも、
そんな日々があった、ちょうど当時の歌であった。
こちらは今聞き直しても苦しくなるが…
以上↑は当時の府連合青年団OBたちが、久しぶりで酒でもと集まったもの。正規の呼びかけで集まったものではありませんが、ついでながら下↓はそれに先だって開かれた、舞鶴市連合青年団OBたちの集会の様子。判明したすべて当時の団員たちに呼びかけられた。さいわい長い歴史の中でも不祥事があったとはいまだに何も聞かない、事務所のカネが「外部の者に盗まれた」とかの小さいのはあるだろうがわすがな金額であるし、全体とすればよい団だったよう。
府のクラスになるとこれが多すぎてできないのである。

